訪問介護 ヘルパーが盗んだと言われた

前回、ご利用者からヘルパーが些細な物を盗んだと指摘されたことを公表した。ご家族、ケアマネジャーを入れての話合いをいくら行っても埒があかない。先方ご家族も強行である。書面方式に切り替えること前述のとおりだか、当方は、ヘルパーからの言動、現場の証拠写真、ヘルパーの家の生活状況など、詳細に整理して

書面にまとめ、当方では盗む意思など全くなかった旨先方へ提示した。併せて、行政へ苦情受付報告書と、下手すると刑事犯罪絡みなので、

事故報告書も行政へ提出、当方の弁明も記載した。同時に、先方に対して、期限を設けて、当方見解への反論を送付するように依頼、期限までにいただけなければら当方見解を認めたものとみなす旨、通告した。いわゆる民事訴訟法の擬制自白の法理を採用させてもらった。

結局、期限が来ても回答はなく、また、先方では新しい業者も見つかったらしく、当方から一方的に契約書の「信頼関係破壊条項」を適用して契約解除(正確には解約。遡及効なし。)した。先方は、行政にかけこみ、行政に仲裁、判断をしてもらおうとの思惑と見られたが、基本的に行政はそこまで、行わないことは当方も認識していた。

まぁ2ヶ月経った現在、鎮静化したと思っているが、もし、長引くようであれば警察に告訴をしてもらおうと考えている。そういう意味で、事業を行うには法律知識は必須である。業務直結の介護保険法、施行規則、省令、運営基準、事務連絡はもとより、一般法の民法民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法は押さえておいた方が良い。いちいち弁護士に依頼したら、費用がかかるだけでなく、弁護士も困ってしまい、グレーゾーンの話しかしない。もっと大きな問題になると裁判へ持っていくが、結局調停委員から和解を勧められるのがせいぜいである。

ところで、自分は学生時代は経済学専攻、と言ってもほとんど勉強せず、未練のあった法律の授業に出たりして、コツコツ知識をつけていた。昔の司法試験を何回か受けたが、専門に勉強していたわけでないので、あっさり不合格。しかしその後の人生で結構いろいろ役だった。サラリーマン時代一番勉強したのは、40歳くらいで、会社で干された時に勉強した。これは、職場との相性悪く1年間仕事がなかったためだ。大企業だったので、勿論給与は保証されているが、5月頃から上司の今でいうパワハラが始まり、その後、周囲も上司を怖がって、結局自分は怒られもせず、仕事も与えられず、一番辛い「無視」が始まった。しかし、家族もいて会社を辞めるわけにいかない。また、休んだら欠勤となりこれも選択肢にない。当時は机にパソコンはあったが、今のようにインターネットを見られる時代でなく、初めのうちは、社内のコンテンツの閲覧を一日中やっていた。それでも退屈で来年3月の人事異動時期まで10ヶ月という時間が途方もなく長く感じられた。他人から見たら表情は鬱病に近かったらしいが、自分はある方法を考えた。組織の不条理からの結果だが、負けるわけにはいかず自分で何かやりたい放題の時間潰しの方法を探そうと思い、昔勉強した法律を勉強し出した。勉強と言っても勤務時間中にやるわけにはいかないから、電車の往復と休日だ。そして、平日の勤務時間帯は仕事もないので、条文、判例、学説を頭の中だけで整理して思い浮かべてみるという方法だ。これは退屈しのぎに良いのと、力をつけるには最適の方法であった。今更試験のための勉強ではなく、とにかく自分で何か新たな仕事するために武装することである。こんなことをしながら、季節は、秋、冬、そして異動季節の春になり、なんとか一年を踏ん張った。本当に長かった。1日も長かった。私は今までとは無関係の部署に移り、仕事も忙しくなり、法律どころではなくなったが、わりと平穏にきていた人生、とのんびり構えていた当時、自分としては一番の人間不信に陥った時期であった。

そんなわけで、法律知識は後年役立つわけだが、仕事で干された時の一つの方法を披露するとこういうやり方もあるのだということである。

今なら勤務中、インターネットでいろいろ楽しいコンテンツを見ることもできるかもしれないが、当時はそういうものはなく、ひたすら頭の中だけで、思考を巡らしていた。「思想、良心の自由」である。

補足すると自分で仕事をするようになってから、いろいろな話を聞いていると、金融機関から金を借りることと、紛争解決を自分で行うことが出来れば一人前とのこと、後年、些細な裁判を弁護士無しで5、6回行ったがだいたい思い通りの結果が出たし、極め付けは車の物損事故で相手が法人で、バックの保険会社、弁護士も不誠実なので、最後は相手の弁護士を真偽誠実に反するとして、東京地裁に訴えた。何で簡易裁判所でないかというと、訴額がないからだ。第一回口頭弁論に出席したら裁判長が次回判決を出すと言った。終わったあと弁護士2人が控室で車の損害の解決もここで一緒にやりますか、と丁重に言ってきた。素人の私でも、それはなんか違うのでないのと思い断ったが、翌日事故についての丁寧な説明書が弁護士から送られてきた。ようやく解ってくれたかと、訴えを取り下げた。こんな裁判の判決書を書くために税金を使ってもらうのも気が引けたし。

ただ、某新聞の社会部記者に傍聴に来るよう事前に頼んであったが、急遽都合つかず来れなかったのは残念であった。

最初から誠意のある回答をしてくれれば、無駄な時間や費用を使わなくて良かったのにという気持ちであったが、自分としては良い経験をさせてくれたと思っている。

人間どおしの争いは、初期の頃は暴力、その後、口論に移り裁判も口論だと思われがちだが、実際は書類の交換である。口論よりストレスは溜まらないと思いきや、これまた大変な作業で、書式、文体など細かいルールがあり、何十ページもの書類に証拠資料をたくさんつけて、必要部数をコピーする。出来上がっあと読み返したら脱字が一字あったなどというときは、悲惨で、ページも全部ずれて全ての作業をやり直す。強烈なストレスで激しい胃痛が起こり背中も痛くなる。もう二度とこんなことはやるまいと思った。

そんなわけで、冒頭の苦情の封じ込めなど、久しぶりの争いだったがわりとすんなり進められた。

ただ、どんな争いも相手をみて勝てそうか、歯がたたないか、相手が何の事か理解できないか、など吟味する。先程の東京地裁での裁判も

事故当事者である相手法人を被告にするより、弁護士を被告にする方が安全とみたからである。