訪問介護  家族の関与

介護において、家族がいる人は家族が第一の生活援助者、介護者であることは言うまでもない。特に訪問介護の対象となる在宅の高齢者の場合である。また家族が同居している場合と、子供が遠方に住んでいる場合とでは、家族の関与度が異なるのはいうまでもない。ある中度認知症の女性ご利用者の場合、娘さんが車で1時間くらいのところに住んでおり、また仕事も持っている。そこで、独居の母親のため、掃除のサービスを入れた。毎週ヘルパーが来てよくやっていた。ご本人も満足していた。ところが、時々訪問してくる娘さんが、掃除の跡をみて、ここが汚い、埃が溜まっている、洗濯物のたたみ方が悪いと何かとクレームが多く、ケアマネジャーを通じて言ってくる。事業所としては当然ヘルパーにやんわりと話すと、そんなはずでないとか、言われた通りにやっているとか反論され、しまいにはそのお宅には訪問したくない、と言い出す。誰の言い分が正しいのかはなかなか証明しにくいし、そのような議論をすると収拾がつかなくなり、最後は娘さんも別の事業所に変えてくれ、と言い出す。掃除の跡など1週間もすれば汚れるし、ご本人と娘さんとで掃除に対する姿勢が異なっていたり、高齢者宅はある程度の汚れは仕方ないという認識がご家族にない。こういう場合、ケアマネジャーは仕方なく別の事業所を探すわけであり、別の事業所でも、また同じことが起こる。だから事業所側の立場から、何回も事業所を変えているご利用者は警戒しようという気持ちになり引き受けを断ることがある。どこの事業所も敬遠する。結局のところ、娘さんの関与度合いが高すぎると、親を不幸にすることになる。しかし、最近はケアマネジャーも同じことの繰り返しは避けたいのか、ここのお宅はご家族がうるさいけど、と情報を提供してくれる。当事業所では、打たれ強いヘルパーを派遣したり、修行と思って行ってくれとか、ストレス代上乗せするとかで何とか引き受ける方針にしている。

訪問介護 はじめに

日本が世界に例を見ない超高齢社会になって久しい。65歳以上の人口が全人口の30%ということは、仮に就業者が65歳で定年になるとすると、

生産人口は減り、1人の高齢者の面倒を2人の現役世代でみるということになる。現役世代は、バブル後の長引く日本経済の停滞で給与は上がらず、

非正規雇用も増えるなど経済力は低下している。

親の世代の年金に頼って生活するというような、

歪な家族構造も見られる。

一方、高齢者はいずれ亡くなるが、亡くなる前に個人差は大きいが介護という期間がある。この期間は介護保険という社会システムがあるものの、

システムを維持する介護保険料を負担する現役世代の人数に比べて介護サービスを受ける高齢者が多いため、システムを維持する社会的原資が少なくなり、サービスの質・量とも低下、加えて、介護に限らず社会全体の労働人数が不足しており、人手不足が叫ばれて久しい介護業界の問題も注目されなくなりつつある。いやおう家族が親の介護の中心になるという、一昔前の状況に戻りつつある。

このような中で、介護保険システムを機能させ、

現役世代を高齢者介護の負担から解放するためには介護を担う社会的人材を確保する必要がある。若者は我が国の発展、延いては人類の発展に貢献する、より創造的な仕事に専念してもらい、介護は高齢者同士で協力して担っていくのが望ましいと思われる。高齢者といえども前期、後期の区分など幅があるため、例えば前期高齢者が後期高齢者を介護するというイメージである。介護業界にも、福祉に興味を持つ若者も多く入ってきているのも確かである。しかし絶対的人数からするとまだまだ足りず、不足する部分は高齢者で担っていくのが望ましい。

本書はそのような観点から、介護人材を確保し運営する事業体を増やすことを目的に、第一の人生を終えた人々への第二の人生の仕事としての介護事業の始め方、介護事業の運営方法を、訪問介護の視点から記したものである。他業種の経験、人生経験を生かして訪問介護の世界に身を投じるための指南書である。興味のある方はご一読いただきたい。

 

訪問介護 ヘルパー不足の対策

どこの業界も人手不足なのでもはや介護業界の人手不足も深刻さが薄れてしまいそうである。一口に人手不足と言っても事業者不足(経営の成り手がいない)の場合と、事業所に所属するヘルパーの不足という二面性がある。ここでは後者について当事業所の実態につき触れてみたい。14,5年前の開業当初は新聞の折込広告が結構有効であった。ポスティングは全くダメであった。その後、ネット業者への掲載などもそこそこ応募者はいた。現在は、現行ヘルパーの紹介というのが結構多い。

どういうことかと言えば、ヘルパーはいろいろな事業所に登録していることが多いため、その事業所だけでは仕事が埋まらない時もあり、空いた時間を当事務所のために働いてもらうというやり方が一般的である。また、既に当事業所で働いているヘルパーでも自分が休む場合の代替要員として自分の知人を紹介してくるケースもある。

もちろん、絶対休まないような核となるヘルパーを数人、その他は短時間でも働いてくれるヘルパーを多めに登録してもらう。新規ご利用者が出た場合は、都合のつくヘルパーを派遣するというやり方である。1人あたりの時間が少ないと社会保険料の会社負担もなく事業者としてもメリットが多い。なお、社員の人数が増えると源泉徴収のやり方などが多少異なるので、注意を要する。

訪問介護 利用者の介護区分の変更

訪問介護においては、原則65歳になると介護保険証というのが市町村から送られてきて、介護サービスを受けられる権利が発生することになる。尤も健康で介護を受ける必要が無ければ、そのままにしておけば良い。その時点で何らかの介護サービスを受ける場合は、市町村の包括支援センターへ申し出て介護認定(介護が必要なレベル)を受け、ケアマネジャーを決めて介護サービスを開始する。介護認定を受けるまで1ヶ月くらいかかる。しかし、急病になった、怪我をしたなどの場合には、緊急を要するので、介護認定の結果を待っている余裕がない。こういう場合は直ちにケアマネジャーを決めて必要なサービスを開始することができる。暫定的にスタートするわけである。後日認定結果が出たら、それを踏まえて介護報酬が決まり事業者にもサービス報酬が支払われる。

一方、既に介護サービスを受けている利用者でも高齢者の場合、心身の状況が変化するので、その時々の状況に応じて介護の認定区分を変更する。

この場合も、即日、変更を想定した区分でサービスを開始できる。その間は、事業者には介護報酬は払われないが、後日、新区分に変更になった時に、遡って新しい基準で介護報酬が支払われる。

ご利用者にとっては有難い仕組みだが、事業者側の事務の管理は慎重にしなければいけない。

 

訪問介護 歯科通院

通院の送迎の中でも、歯医者へ行く人は多い。外へ出られなくなると最近は訪問歯科というのがあり、家に来てくれるのでたいへん便利である。しかし大掛かりな治療となると通院しないと難しそうである。高齢者の歯科治療方法もだいぶ変わってきているようで、自分の両親の時は上下総入れ歯で、外すと顔つきが変わってしまいおかしくも違和感があったものである。今は出来るだけ自分の歯を残す方向らしいが、それにしても虫歯治療から歯周病、部分入れ歯、さし歯、インプラント等々いろんな治療方法があるものだと思った。あと、保険適用外の自由診療など、信じられない金額を払う人もいる。そういう人を見ていると、早め早めの治療がいかに大切かがわかる。歯科医の通院送迎は、医者自体が予約制で、しかも、治療時間がよめるから割合と気が楽である。そして、送迎をする側のメリットも大きい。歯科医はコンビニの数より多いとか言われている中、どこへ行けば良いのか迷うところだが、ご利用者はさまざまな歯科医へ行くから、その医師の話とか治療方法に関する情報がよく耳に入る。情報を他のご利用者へも提供する。ところで私自身、ある時、奥歯の歯茎に白いできものが出来たり治ったり繰り返したことがあった。かかりつけの歯科医へ通ったが薬を注入して一週間様子見てまた同じことを繰り返すが、一向に完治しない。そこで自分で判断して、これは思いきって抜いてしまった方が良いと思い、抜歯が好きで上手という若い医師のところへ行き思い切って抜いてしまった。そこまでは良かった。部分入れ歯でも入れれば良いと思っていたからだ。ところがその医師は、次は反対側も抜くという。反対側は問題ないから抜く必要はないと思っていたが、医師は、どうも自分なりの治療の構想があったようで、両方抜いて後ろから止める方法を考えていたようだ。これはまずいと思い、あっさりその歯科医へ行くのをやめた。数ヶ月して抜いたところへ部分入れ歯を入れようと思い、今度は敢えて誰も行かないような

高齢歯科医の門をたたいた。奥歯の部分入れ歯は昔からある技術だからその医師も簡単に、短期間に作ってくれた。一度でピタッとはまり違和感なし。反対側の歯の話をしたら、こちらは全然大丈夫です、と太鼓判を押してくれた。歯科医も自分で考えて選んで治療しないとえらい目にあうということがわかった。

訪問介護 遠方自治体の総合事業

10年以上前の大震災の被災地から避難してきたご利用者のサービスを数年間行っていた。サービス料の自己負担分が無料になる制度があり、その対象者であった。生活援助が主体のサービスであるが、ある年に、介護保険の更新時に当地の自治体の介護認定結果が、要介護から要支援になってしまった。一般に介護度が下がったということは、身体の状態が良くなったのだから喜ばしいことのように思えるが、そういうわけではない。恐らく介護財政の関係で認定が厳しくなったというのが大方の見方であった。ところが、さらに問題が発生した。もう何年も前から要介護の人は国が行い、要支援の人は住んでいる市町村が独自に事業者を指定し、指定された事業者しかサービスを、提供することが出来ないという制度に変わった。この要支援の人へのサービス提供を総合事業という。住民票が当地にあれば、当地の事業者がサービスを行うが、そのご利用者は住民票が被災地にあったため、被災地で指定を受けた事業者しかサービスを提供出来ない。困り果てたケアマネジャーが相談に来て、その被災地の自治体に総合事業の申請を出してくれないかとの依頼である。総合事業の指定申請は簡単なものでなく時間も労力もないと伝えた。またデイサービスを行っている事業者はきっぱり断り、その後そのご利用者は、全額自費でデイサービスへ行くとの事。

訪問介護も全額自費で受けるとなると費用が大幅に増える。というか今まで被災地特例で自己負担額さえ無かったところ、月数万円の負担になる。

これは流石に気の毒でありなんとか出来ないか、

当該被災地の自治体へ交渉した。当地の自治体にも事情を相談したが、なんと言ってもお役所の決まりだから、検討するとの答えはきたものの、過去の経験からいつになるかわかったものでない。

そこで当該被災地のホームページの申請要領を見てみた。そしたら当地の総合事業の申請方法とほぼ変わらないことがわかった。結局全国どこの市町村も他の市町村の申請手続きを参考にしているのでは、と思った。早速作業に取り掛かり、何とか2日程度で仕上げ、被災地の市町村へ送った。

その後1ヶ月してその市町村から許可が下りた。

綱渡りの心地であった。

訪問介護   老いに対する親子間認識の差

訪問介護事業を始めてからはや15年が経過した。いろいろな事、いろいろなご利用者に巡り合ったが、最近は、昔のご利用者の名前が思い出せなくってきた。自分も歳を感じるようになってきた。

大手企業を定年退職した人でも第二、第三の職場を見つけるのは大変なようだ。結構、工事現場の交通整理、介護事業所のドライバーなども高齢者が多い。家庭だけでなく社会での老老介護の一種かもしれない。

ところで歳を重ねると誰でも身体あちこちに不具合を感じたり、大病になったりとなかなか大変なのも事実である。

辛いご利用者は「早く死にたい」と口にすることも多い。こちらとしても何と反応していいやら悩ましいのだが、実は介護している側もヘルパー、管理者、経営者など高齢化してきており気持ちはわかるものである。

そこで、「親子間認識の差」として、顕著に現れる健康状態に関する親と子の認識の差について考えてみたい。

先ず、大病を患ったとかいう高齢者は別として、高齢になった親の健康状態、自覚症状等は、現役・働き盛りの若い人たちからは全く理解できない。

その歳になって初めて実感するもので、自分も若い頃はそうだった。親が元気そうに見えて自分の子供(親から見れば孫)と楽しく遊んでいるのをみると、親も体調良いのだろうなと思っていた。ところがいざ自分がその立場になると、子供、孫が家に来て、帰ったあとはどっと疲れが出たり、腰を悪くしたり、と大変である。これはよく言われることだが、厄介なのは、何らかの病気が出てその治療方針に向き合った時である。親はもう先が長くないので、余計な高額治療や延命治療を望んでなくても、子供は少しでも長く生きていてほしいと思った場合である。ここに親子の見解の相違から衝突が生まれるし、数人の子供がいた場合は、子供の間で見解が分かれる場合もあり、ますますややこしくなる。親が子供を説得するのは難しい。子供の方は医療への過信があり例えばこの手術をすれば必ず良くなると信じきっている。ところが高齢者はいろいろ情報調べたり知人に聞いたりして結構真実に近いところを押さえている。だから相互の理解、特に子供の側から親を理解し、ある程度の覚悟ができように機会を見て話合っておくのがよい。

こういう話合いは、子供の帰省時に雑談で話すのではなく、日時を決めてじっくり話し合っておくのが望ましいであろう。

お互い余計なストレス抱えてくすぶっているよりはるかに精神衛生上よい。