訪問介護中のご利用者との会話

先日、80代半ばの女性ご利用者を通院送迎している時、その人の息子さんの話が出た。息子さんは50歳過ぎであろうか、日頃出張やら夜の付き合いやら忙しいとの話は聞いていた。

その息子さんが最近心臓の検査で再検査となり、結果即刻、血管にステントを入れ、一命をとりとめたとのこと。運が良かったとしか言いようがなかったと。数日で退院して普通になり今は元気との事であり、良かったですね〜と雑談していた。その他にもご自分はお姑さんの介護が何年、ご主人の介護が何年、今は自分の事で苦労している、自分の事だけでなく、ご近所の誰々は何十年も話をした事無いほど変わり者だとか、ご自身も5〜6箇所の医者にかかっているので、どこの先生はどうだとか、いろいろよくお話される。女性は話好きだがいろいろ参考になる話も多い。

本題の訪問介護中の会話とはどんな感じだろうかと考えると、施設においては1人のスタッフが大勢の人を相手に話をするので、1人の人と深く話す事などあまりないと想像される。それでは、個別に訪問する介護では、さぞかしゆっくり話をする時間があるのではないか、と思われがちである。

しかし、実際はそうでもないのである。極めて重度とか超高齢とか認知症が重い等のご利用者は元々会話は成立しにくいので、除外するとして、生活支援をはじめ、ある程度自立度が高いご利用者の場合は、会話は成立するが、そもそも会話する時間が取れないのが実情である。10年くらい前は例えば要支援のサービス時間は90分あり、買い物や掃除をしても時間が余ることがあり、世間話をする時間もあった。また、ご利用者との会話が成立しない場合でも娘さんや息子さんと話をする機会があったものである。

ところが要支援の人のサービス時間は今や45分である。もちろん国や自治体の予算の関係で削られているのだが、そうなると余計な会話をしている時間はない。

昔、介護会社でヘルパーをやっていた時、30分のケア枠でご利用者が薬飲むのを手伝い、時間が余ったら話相手して下さいというサービスがあった。服薬など1分で終わるので、30分ケアだと最低20分は滞在しなければいけないから、約20分は雑談していた。尤も、足湯か何かで温まって貰っていたから立派な身体介護である。

今はそういうのは少なくなった。いろいろやる事があって時間に追われるということと、ヘルパーも忙しくしているとご利用者も遠慮して話しかけて来ないという事情もあるのか、仮に時間が余ってもご利用者のご気分とか、ヘルパーとの人間関係とか相性にもよるが、ご自宅でゆっくり雑談をするという雰囲気は少なくなっているような気がする。

私の経験ではご利用者、あるいはご家族との会話が一番多いのは通院介助の時である。それも、病院で待っている時よりも途中の車内である。

印象に残っているのは独立して仕事を開始した当初、人工透析で週3回3年間くらい通院のお手伝いをした男性ご利用者とは、随分いろいろな話をしたものだ。人生の先輩だからこちらが聞き役てある。ご利用者も聞いてくれる人がいると嬉しいのだろうか。病気の話は元より同じサラリーマンだと過去の仕事の話、武勇伝やら生い立ち、故郷、家族の話から世情への批評など尽きない。
話していると意外な共通点や共通の知人の名前が出てくる事もあるから面白い。
 
また、世代がさらに上になると戦争の話は必ず出てくる。外地での状況など本や映画でも出てこないような話に驚かされることもある。戦争中の話については、その人が過ごした場所、置かれていた立場により、随分差があるということも感じた。戦争はご自分の人生にほとんど影響なかったという人も結構いるものだと思った。