訪問介護とボランティア

介護人材も不足し、介護の予算もなく、今後どうなって行くのか不安である。そこで以前から言われている、ボランティアとはどういう立ち位置にあるのか考えてみた。

東京オリンピックへ向けてのボランティアは応募を上回るとのニュースがある。まあ明るいイベントだから納得できる。  

災害時のボランティア、こちらも被害者としては助かるし、参加する人も使命感に燃えていると思う。


しかし、介護だとか、一般には入りにくいボランティアに応募する人はいるのであろうか。私は常々疑問に思っていた。自分が営利法人で介護事業をしているからなおさら感じる。


ある人は、無償ボランティアというのはなかなか難しい。責任が無いからいつでも辞められるし、という。確かにそうだ。人間は少しでも報酬があれば責任を感じ職務を全うしようとする。特に日本人はそうかもしれない。報酬がなければ無責任になり、気が向いたらやる、ということになりかねない。


しかし、現実には一般論とは異なる行動をとる人も存在する。自分が恵まれているとか、お金は十分あるとか、名誉もあるとか、そういう世俗的な動機とは関係なく、本心から実行する人達が現実には居るのである。


今日たまたま会った友人の話によると、その友人の知人が受刑者の社会復帰の一環として、刑期満了前に自宅に受刑者を受け入れる制度があり、それにボランティアとして応じている人がいるという話に驚いた。


だから、介護も同じで、心底、その人の事を思い、その人の人生を如何に平穏に終結させてあげるかという事は非常に重要な事であり、金銭では測れない職務であると改めて感じた。それに共感する人はお金があろうが無かろうが心底献身的なボランティアになれる。

自分には程遠い心境である。


従って、ボランティアとは一種のDNAなのか、訓練や学習で獲得できるエネルギーなのか悩むところである。