訪問介護 昨今の状況

1.はじめに

コロナの感染者も増えたり減ったりで、冬へ向けて予断を許さないが、

最近、介護のことにつき、コロナとの絡みもあり、再びメディアにとりあげられる機会が増えたような気がする。

  日本人のコロナでの死者が、少ないのは、ひとつには、欧米では結構高齢者施設で亡くなっているが、日本の場合、医療施設や高齢者施設での面会制限他、感染予防につき、日頃からの行政の指導により厳格なルールを守っていることがあると思う。家族と面会できないことが別なデメリットを生み出すことはさておき、日本の介護スタッフも頑張っていることは評価されても良いと思う。

 ところで以前から介護問題は、①人手不足②にもかかわらず賃金の低さ③仕事のきつさ④高齢者人口増加にともなう財政の悪化がポイントであった。今も全然変わっていない。

それぞれのポイントはさまざまなメディアで語り尽くされいるが、もう少し現場の視点から実態を述べてみたい。

  当方は在宅介護のうち訪問介護という分野を担っている関係でそのあたりを中心に実態を見ていきたい。

2.在宅介護の需要と実態

高齢化し家族が面倒を見られなくなると、介護施設に入るか、家に専門の介護者に来てもらう方法がある。後者が在宅介護である。ご本人の立場からすると、自ら進んで施設に入ろうという人よりも出来るだけ住み慣れた家に居たいという傾向が強いようである。家族にとっては、介護者の心労、家族関係、経済状況等の事情からだいぶ考えに開きがありそうである。

  在宅介護の場合、自宅に訪問して来るのは、訪問介護ヘルパーはもとより、医師、看護師、作業療法士福祉用具専門家など多岐にわたる。使える社会資源も介護保険医療保険など複雑に絡み合っている。それらの業種のスタッフがチームとなって、ご本人を支えるのである。

3.人手不足

上記各スタッフのうち、訪問介護ヘルパーについては不足しているのは明らかである。ただし、訪問介護の事業所の規模・知名度などにより多少の格差があるような感じである。最近は大手企業も参入してきているが、当方のような訪問介護事業所のほとんどを占める中小の事業所については、例えば、新卒の若いヘルパーなど、まず入ってこない。ヘルパーの高齢化も進み、50代、60代が主力、70代の元気なヘルパーもいて何とか回している。

4.賃金と資格制度

業種別の平均賃金は他業種に比べて低いのは確かである。しかし介護職と言ってもいろいろあり、ケアマネージャーに始まり、管理者、サービス責任者、常勤社員、非常勤ヘルパーなどさまざまである。どの役割に就けるか否かで当然賃金も変わるのだが、連動しているのが資格である。ケアマネージャー資格、介護福祉士資格、ヘルパー資格など細分化されており、短期間の講習て取れる資格もあれば、一年に一回開催される国家資格もある。若い人は福祉系学校の卒業者もいる。施設の介護では、無資格で働ける仕事もあるが、訪問介護ではすべて有資格者である。

従って、従業者は相当な覚悟で資格を取ってこの仕事につくわけであり、多少賃金が低くても就業したいという

意欲は旺盛で低賃金よりも仕事のやり甲斐を重視している人が多い。仕事のモチベーションが第一と考えられる。

5.経営のポイント

国の財源が厳しくなれば、当然行政から支払われる介護報酬は抑えられる。

事業所の収入は行政からの介護報酬とご利用者負担分、そして、介護保険外の自費によるサービスの収入である。

理想的なのは、ヘルパーをたくさん増やしてご利用者も増やすこと。箱物を持たない訪問介護は、ある意味上限は青天井という魅力はある。

しかし、それが難しければ、必要経費を抑える、すなわち人件費とりわけ常勤社員の人件費を抑えることである。

非常勤の人件費を抑えると、良い条件の職場へ転職してしまう可能性があるので、慎重にすべきである。必要経費を抑える部分はルールに反しない範囲での事務の簡素化、システム化、情報収集して諸業務を自己完結で行うことである。

6.今後の方向性

在宅で介護等を利用して、お一人で90歳過ぎまで生活されているご利用者はたくさんいる。

一方で、子供たちは遠方でそれぞれの生活に追われ親の世話に手が回らないのも実情である。その為にも介護保険制度を若い世代の負担増にならないよう維持・充実させ介護の担い手が増えるよう賃金面のみでなく、仕事のやり甲斐、職種自体の地位向上という観点からの広報が必要ではないかと思う。

介護の仕事をしていると、人間の過去の生き方から学ぶことも多く、また自分の将来の姿を想像することもできる。特定の疾病、怪我に限らない医療知識が増えるなど、特に定年後の人にとっては、参考になることが多い。

結局は自分も介護のお世話になるということを念頭において、自助・共助・公助を使いわけるしかないのであろう。

訪問介護 昨今の状況

1.はじめに

コロナの感染者も増えたり減ったりで、冬へ向けて予断を許さないが、

最近、介護のことにつき、コロナとの絡みもあり、再びメディアにとりあげられる機会が増えたような気がする。

  日本人のコロナでの死者が、少ないのは、ひとつには、欧米では結構高齢者施設で亡くなっているが、日本の場合、医療施設や高齢者施設での面会制限他、感染予防につき、日頃からの行政の指導により厳格なルールを守っていることがあると思う。家族と面会できないことが別なデメリットを生み出すことはさておき、日本の介護スタッフも頑張っていることは評価されても良いと思う。

 ところで以前から介護問題は、①人手不足②にもかかわらず賃金の低さ③仕事のきつさ④高齢者人口増加にともなう財政の悪化がポイントであった。今も全然変わっていない。

それぞれのポイントはさまざまなメディアで語り尽くされいるが、もう少し現場の視点から実態を述べてみたい。

  当方は在宅介護のうち訪問介護という分野を担っている関係でそのあたりを中心に実態を見ていきたい。

2.在宅介護の需要と実態

高齢化し家族が面倒を見られなくなると、介護施設に入るか、家に専門の介護者に来てもらう方法がある。後者が在宅介護である。ご本人の立場からすると、自ら進んで施設に入ろうという人よりも出来るだけ住み慣れた家に居たいという傾向が強いようである。家族にとっては、介護者の心労、家族関係、経済状況等の事情からだいぶ考えに開きがありそうである。

  在宅介護の場合、自宅に訪問して来るのは、訪問介護ヘルパーはもとより、医師、看護師、作業療法士福祉用具専門家など多岐にわたる。使える社会資源も介護保険医療保険など複雑に絡み合っている。それらの業種のスタッフがチームとなって、ご本人を支えるのである。

3.人手不足

上記各スタッフのうち、訪問介護ヘルパーについては不足しているのは明らかである。ただし、訪問介護の事業所の規模・知名度などにより多少の格差があるような感じである。最近は大手企業も参入してきているが、当方のような訪問介護事業所のほとんどを占める中小の事業所については、例えば、新卒の若いヘルパーなど、まず入ってこない。ヘルパーの高齢化も進み、50代、60代が主力、70代の元気なヘルパーもいて何とか回している。

4.賃金と資格制度

業種別の平均賃金は他業種に比べて低いのは確かである。しかし介護職と言ってもいろいろあり、ケアマネージャーに始まり、管理者、サービス責任者、常勤社員、非常勤ヘルパーなどさまざまである。どの役割に就けるか否かで当然賃金も変わるのだが、連動しているのが資格である。ケアマネージャー資格、介護福祉士資格、ヘルパー資格など細分化されており、短期間の講習て取れる資格もあれば、一年に一回開催される国家資格もある。若い人は福祉系学校の卒業者もいる。施設の介護では、無資格で働ける仕事もあるが、訪問介護ではすべて有資格者である。

従って、従業者は相当な覚悟で資格を取ってこの仕事につくわけであり、多少賃金が低くても就業したいという

意欲は旺盛で低賃金よりも仕事のやり甲斐を重視している人が多い。仕事のモチベーションが第一と考えられる。

5.経営のポイント

国の財源が厳しくなれば、当然行政から支払われる介護報酬は抑えられる。

事業所の収入は行政からの介護報酬とご利用者負担分、そして、介護保険外の自費によるサービスの収入である。

理想的なのは、ヘルパーをたくさん増やしてご利用者も増やすこと。箱物を持たない訪問介護は、ある意味上限は青天井という魅力はある。

しかし、それが難しければ、必要経費を抑える、すなわち人件費とりわけ常勤社員の人件費を抑えることである。

非常勤の人件費を抑えると、良い条件の職場へ転職してしまう可能性があるので、慎重にすべきである。必要経費を抑える部分はルールに反しない範囲での事務の簡素化、システム化、情報収集して諸業務を自己完結で行うことである。

6.今後の方向性

在宅で介護等を利用して、お一人で90歳過ぎまで生活されているご利用者はたくさんいる。

一方で、子供たちは遠方でそれぞれの生活に追われ親の世話に手が回らないのも実情である。その為にも介護保険制度を若い世代の負担増にならないよう維持・充実させ介護の担い手が増えるよう賃金面のみでなく、仕事のやり甲斐、職種自体の地位向上という観点からの広報が必要ではないかと思う。

介護の仕事をしていると、人間の過去の生き方から学ぶことも多く、また自分の将来の姿を想像することもできる。特定の疾病、怪我に限らない医療知識が増えるなど、特に定年後の人にとっては、参考になることが多い。

結局は自分も介護のお世話になるということを念頭において、自助・共助・公助を使いわけるしかないのであろう。

訪問介護 新型コロナ

新型コロナの流行とともに、ブログの更新を随分長く中断してしまった。

1月に中国の武漢新型インフルエンザ発生との情報が入った時は、他国での一時の流行と思いそんなに深刻に受け止めていなかった。しかしながらその後、中国からの入国禁止、ダイヤモンドプリンセス号の隔離停泊、3月になり一斉休校、各国での感染が広がり、WHOのパンデミック宣言、そして我が国初の緊急事態宣言、オリンピックの延期など、新型コロナ一色の半年であった。

この間、我々は介護の仕事に従事している関係で、日頃から感染症対策については行政の指導も厳しくそれなりの内部管理体制をとっていた。特に日本における季節性インフルエンザの感染者は例年1000万人程度、死者は10000人程度、肺炎による死亡者が20000人程度という頭があったから、報道される数字を見てもそれほどの危機感を感じてなかった。

治療薬やワクチンがないといっても

毎年の季節性インフルエンザでどの程度の人が、タミフルを服薬し、予防接種を行っているかと考えると、周囲では比較的稀なのも事実である。

それでも、欧米の状況をみたり、また日本でも緊急事態宣言が出された後は緊張が走った。ある意味当然かもしれないが介護は営業自粛業種ではなく営業継続要請業種である。しかしながら、介護と言っても、老人ホームのような施設、デイサービスのようにご利用者が通うサービス、我々のようにヘルパーがご利用者宅を回るサービスなど、さまざまであり、サービスのあり方や感染リスクも異なる。老人ホームのような施設においては、ご利用者を退出させるわけにもいかないから、当然、通常どおり運営される。もし感染者が出たら大きなクラスタになること間違いないので、どこの施設も内部での体制はもとより、家族との面会も禁止するなど厳重な感染防止対策がとられた。

一方、ご利用者が通うデイサービスについては、高齢者が自宅とサービス施設間を往復し、密接な会話を交わすことからリスクは高く、敢えて欠席するご利用者も多く、その分、感染リスクは減るが営業的には苦しいところも出てくる。一方我々訪問介護については、これもリスクは高い。ご利用者宅でご利用者とヘルパーが一対一で対面し、身体の介護となると体も密着となる。また、介護ではご利用者への声かけ、対話が必須なので、ハイリスクである。ご家族が外で感染してきたら、即家庭内感染となり、訪問するヘルパーも危険に晒される。中にはご家族が家にいるため、ヘルパーの訪問を謝絶というご利用者もいたが、だいたいのご利用者は独居または日中ご家族がいないため、ヘルパーに依頼している。だから通常どおり訪問することになる。

しかし、感染対策としては、マスクをする、訪問前後に手洗い、アルコール消毒をする、出来るだけご利用者とは距離をおき、不要な会話は避ける、

また、ヘルパー自身の日常生活にも十分気をつけるなど、報道されている一般的な対策以外に決め手はない。自分も満員電車での通勤は避けて早朝出勤だ。車は日中使っているので、通勤では乗る気がなくなる。ご利用者へは以上のご理解を求め、ヘルパーへもリスク管理を徹底した。そんな状態で結局何事も起こらず、ついに夏も終わりになってきた。相変わらず1日の感染者数、Go Toキャンペーンの是非論、PCR検査の実施などの議論につき報道が続けられている。当事業所ではいつまでこの奇跡が続くか不安である。ここ数ヶ月、自粛していた通院者も増え、ヘルパーが病院へ行く機会も増えた。夏から秋、冬にかけても対策も考えなければいけない。

訪問介護 神経疾患のご利用者

介護の悩ましいのが神経疾患のご利用者だ。難病にあたる疾患も多く、長期に及ぶ。意識、視力、聴力、認識力は正常だが、最初は運動神経が思うように動かなくなり、やがて言葉の発生が困難になる。比較的お若い方が多い。

退出時は、ご自分の姿勢、身の回りのリモコン、携帯、飲み物などのセットなど、手の届く位置に置くための微妙な調整など極めて時間がかかる。30分のケアが倍になったりするのはままある。

あるヘルパーは、元々神経質な人が多いのでは、ともいうが、それもありそうな気がするが、ご病気になって不安が増し一層拍車がかかるのだろうか?

医学的には遺伝子に特徴があるとかいろいろ言われているが、先天性ではなさそうで、何かの事情で神経伝達物質に異常を来したのだろうか。

几帳面や頑張り屋さんの人が多そうだが、感情面は、穏やか、怒りやすいなどさまざまである。

最近、感情面の激しいご利用者の支援をして苦労した。

何が苦労したかというと、そのご利用者、ヘルパーが気に入らないと、どんどん事業者を変えてしまう。

そこで当事業所に回ってきた。当事業所の一人のヘルパーが気に入られ、数ヶ月続けたが、代替要員がいない。そのヘルパーが風邪でも引いたらどうしようと、代替要員を検討していた矢先、そのヘルパーが、本当に体調悪くしてしまった。

慌てて他のヘルパーを次々に3人ほど派遣したが、どれも気に入られず、途方にくれた。当事業所として手を引いてしまうとケアマネに迷惑がかかる。何しろ人手不足、事業所不足でケアマネは数十社に謝絶されている。

ところが、数日して好かれていたヘルパーが、病み上がりで、機嫌悪くも訪問した。

ヘルパー本人も体調万全でなく気が入らず、ケアが不十分であった。翌日は、関係者集まっての会議である。

その席上、ご利用者本人は、信頼していた当事業所の昨日のヘルパーの不機嫌さを理由に当事業所を出入り禁止との発言をした。

やれやれ、事業所からご利用者との契約を解除することは法的に困難である。医師が診察拒否できないとのと同じ。ご利用者から拒否されたのであれはやむを得ない。

ケアマネには申し訳なかったが当方の力不足、こういうケースは初めてであった。

訪問介護開業10年 その2 実証実験

脱サラして何の仕事を自分で始めるのか、これは悩んでいたら始められないと思うのだが、自分が事業とか店をやっている家庭に育ったとか、そういうところでアルバイトした等何らかの経験があればまだしも、自分は平凡なサラリーマン家庭に育ち、親戚にも商売をやっているような人間はいない。

しかし世の中は高齢化へ向かっている。何の技術もない人間にとっては、介護しか頭に浮かばなかった。というのは、2000年に介護保険制度が始まった時、興味を感じていた。正直介護そのものというより、公的介護保険というところに注目していた。キーワードは介護需要は間違いなく増える、公費で賄われるので収入は保証されるということだった。

そうこうしている時、学生時代、ある音楽サークルに在籍してしていた時の先輩でプロのミュージシャンになっている人から、「君の家の近くでライブやるから来ないか。」という誘いがらあった。近いので行ってみると、

先輩の演奏は素晴らしくバンドも一流の人たちばかりである。ところが観客が数人であった。その数人も初老の紳士風である。熱心に聴きいっている。土曜日の午後のライブにこれはいかにも寂しいと感じた。そこで私はその先輩と相談して高齢者向けのコンサートを開催してみることにした。自分がどの程度人を集められるか、事業のセンスがあるのかの実験であった。とにかく事業は営業に尽きるというのが持論であった。約3ヶ月の準備期間中、あらゆる媒体を駆使して徹底的に宣伝を行った。高齢者向けなので、最大の媒体は新聞折り込みで40万部ほど配布された。

反応はまあまあで、専用に敷いた電話には予約が次々と入る。高齢者向けなので、敢えて平日の昼に設定した。というのは、会場の金額、ミュージシャンの空き時間など考慮するとやむを得ない面もあった。席は約250だが、お客さんが少なかったらミュージシャンに申し訳ないし、溢れるほど来館したらどうしようかと不安にもなった。こんなことを会社が休みの土日にやっていた。

いよいよ当日、アルバイトを受付などに雇い、来館者を案内する。最終的には120人程度だった。席の半分だが、ステージからみると程よく満席に見え、演奏の受けも良く、終了後、来客から礼も言われまずまずの結果に終わった。

以降、あちこちの自治体との共催にして宣伝効果とコスト削減を図るなど工夫して10回くらい行った。この企画で経験した面白さと怖さは後々役に立った。

訪問介護開業10年 その1 伏線

まもなく、脱サラして訪問介護会社を立ち上げて10年経つ。振り返ってみて一体どのような経過を辿り、どのような成果があったのだろうか。

1.伏線

そもそも大手金融系の会社に勤務時代、丁度厄年あたりの頃か、今でいうパワハラらしきものに直面し、無抵抗で忍耐し、一年間仕事が無かったことはショックであった。職場の机にパソコンはあったが今のようにインターネットなどなく、社内の掲示板やら電子メール 、あとはワープロ一太郎くらいだ。外勤でないから、外出するわけにはいかない。普通ならうつ病でも患い出社できなくなる人間も出るだろう。トイレに行く以外一日中机にじっと不動で座っている。パワ上(以下パワハラ上司をパワ上という)は、仕事がないなら自分で仕事を進んで作れなどと敢えて無理難題を押しつけ、周囲は自分を置いて会議に出る。自分を同情する社員もいるが、パワ上が怖いから保身で私を無視せざるを得ない。来年の1月には異動が出る。そこまで10ヶ月どうやって持たせるか。休んだら給料は出なくなる。扶養家族がいる身には退職の選択肢はまだ考えられない。

そこで、私は何か飯だねになる資格取得を考え、通勤の行き帰り、夜など使いある勉強を開始した。実務系の、法律、会計、労務、税金などである。日中昼間に勉強するわけにはいかないので、職場では、目を開けたまま昨夜学んだことを頭の中で復習する。8時間も復習すれば、

随分力がつく。ただ周囲からというよりもパワ上から無視された結果として周囲の人間が私を気遣うも自分も怖いから私に声をかけられない。これが組織というものかと思った。本当に長い1日、そして10ヶ月経つ前に私はパワ上のさらに上の人間に直訴してその職場を逃れられた。大企業ならではの危機回避だった。とともに企業の不本意さを改めて感じさせられた一年であった。

2.その後、会社は合併騒ぎで過去の苦い経験は忘れ、10年間仕事に励んだ。合併でかなりの人数の希望退職者も出た。会社も落ち着いてきて、私も部署を移り、社内の監査の部門に回された。未経験の分野であったが、社内の諸部門の監査を行うことで大企業の仕組みと管理体制の程度がだいぶわかった。また、干された時代に蓄積してあった知識も活かせ人間関係も良好、50代前半として、サラリーマンの終盤としてはお気楽な時期だった。

と同時に、この部署にいても先は見えているし、何か将来を考えなければいけないとは思っていた。干された時期に、組織の限界も実感したしその時期を利用して蓄積した法律知識が頭に入っていた。そこで会社を辞めることも視野に休日や平日の業務終了後の空いた時間を使って新たな仕事の事を考え始めた。

訪問介護  ご利用者との別れ

この秋、残念なことに2名のご利用者が亡くなってしまった。どちらも独居。短期間に2人は珍しいことだ。お一人はそこそこ高齢なので以前の持病が悪化、仕方ないかもしれないが、もうお一人は比較的若く、病状もここ何年も安定しており、当日、うちの事業所のヘルパーが訪問した時は元気だったが、その後、急にご自宅で亡くなってしまった。独居だから原因不明。次のヘルパーが訪問した時、いつも開けてくれているカギが閉まっており、中からチェーンも掛かっていて、救急隊を呼んで切断したり、警察の検視があったり大変だった。 ところで、ご利用者との別れは死別だけでない。お一人住まいで自宅での生活は無理となってしまい、施設に入っていくケースだ。 ここは在宅生活が終わり、最終の施設へ向かうまでは在宅のケアマネの所管だ。一番大変な局面であろう。 最終の施設へ向かうまでの間、いくつかのショートステイで受け入れてくれるところを探す。ショートステイの施設もスタッフや病状などから受け入れられるとは限らない。しかもたとえ受け入れてくれるとしても滞在可能期間が限られる。次のところも探しながら、最終の施設も探す。 私は施設間の移動や引越し荷物の整理や移動など手伝う。地方出身の独居者は親族も疎遠なことが多く全く頼りにならない。 いよいよ最終の施設が決まった。今までの家から30キロくらい離れるが、まあ仕方ない。ご利用者へ「故郷に少し近くなったね」と励ます。 いよいよ最終日、借りていたマンションというかアパートから必要最低限の荷物を運び出し、残った家具、電化製品は市で全て処分する。 夜遅く、明日出発という日、最後のショートステイの施設へ帰る。 秋の日も暮れ、すっかり暗くなったショートステイの部屋でご利用者は、ケアマネと私に長年の礼を述べた。 「元気でね」「頑張り抜いてよ!」エレベーターのドアが閉まり、ケアマネと私は心身の疲労で言葉も出ない。 一つの仕事の終了だ。在宅介護の役割は終えた😓